久保田工務店として叔父の久保田今朝武(けさむ)が創業して80年、そして現称号の東洋工業株式会社へと改組して66年が経ちました。時代の中にはオイルショックによる物価高騰や資材の不足など、厳しい時もありましたが、このように長きにわたり、地元で土木建築業を営ませて頂けることに心より感謝しております。
公共事業を中心に、常に高い技術を必要とされる中で、弊社は設立以来ずっと「人の技術と心」を磨く会社環境づくりに努めて参りました。資材や重機、さらにはデジタル化などのめざましい進化があっても、それをつかう“ヒト”のスキル(技能)や心が伴わなくては、いい仕事はできません。そのために、常に“人が育つ会社”であり続けられるよう努力をしております。
私はすべての現場に月数回は必ず足を運びます。その理由は、現場の進捗状況の確認は元より安全衛生の確認ともうひとつ、「給料」を持参することです。社員はもちろん、現場スタッフの分まで現金を持参していきます。夏の暑い日の現場、冬の寒い日の現場、そこにはいつもホコリにまみれながら必死に仕事をしてくれているスタッフがいます。私の会社はこの人々のおかげで成り立っているわけですから、本当に感謝の気持ちで一杯になります。工事代金の支払い先へ毎月電話でお知らせをし、弊社に集金に来て頂いているのも「心は互いに顔を合わせることで伝わる」という考えによるものです。
2011年3月11日の震災翌日に、社員たちは私が指示を出す前に、自主的に集合し災害復旧のため4班を編成して、資材や重機用燃料をかき集め、以前手掛けた物件や被災した社員たちの家などへの復旧作業に向かって行ったことは、今でも鮮明に思い出されます。「このような心を持った社員たちがいてくれるなら、この先も会社は大丈夫だ!」という思いはさらに強くなりました。
これから先も、地域のみなさまのお役に立てるよう、高い技術力と人材にこだわり、厳しい時代を生き抜けるよう、日々努力を重ねて参ります。今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
令和3年4月1日
東洋工業株式会社
代表取締役会長
Masato Oso
昭和14年4月10日 長野県松本市生まれ |
昭和22年に茨城県へ移住し、高校卒業後の昭和33年に弊社入社 |
昭和48年に代表取締役社長へ就任 |
令和2年に代表取締役会長へ就任 |
茨城県相撲連盟顧問(前理事長) ≪“平成の怪物”こと元大関 武双山(現藤島親方)の父親≫ |
平成12年 7 月 建設大臣表彰受賞 |
平成13年11月 黄綬褒章受章 |
平成21年 5 月 旭日双光章受章 |
私が、65年を超える歴史ある弊社、東洋工業株式会社の代表取締役社長に就任し、凡そ1年が経ちました。就任当初は、新型コロナウイルス感染症の流行により不安一杯の中でスタートとなりましたが、お客様、従業員、協力会社等に支えられ1年を無事に終える事ができましたこと心より感謝いたしております。しかしながら、まだ1年でありますので今後、地域の皆様方にさらに愛され仕事を通じ社会貢献できますよう精一杯努力していく所存です。
連日報道されているコロナウイルスにつきましても、未だ感染者数の大幅な減少が見られず終息が見通せない状況下ではありますが、ワクチン開発がなされ、日本でも接種が始まっている中で終息に向けて進んでいって欲しいと思います。弊社においても着実に歩みを進めて行くために、良い伝統を残しつつ新たに挑戦し、改革を恐れない経営を目指して行きたいと思います。
近年、毎年のように被害をもたらす自然災害につきましても、我々建設業者が復興の一翼を担っている自負もありますが、若年層の入職率が低く、離職率が高いのは、そのような貢献度がなかなか伝わりにくい事や、仕事に対しての魅力ややりがいを上手に伝える事ができていないのではと思っています。建設業全体で高齢化が進んでいると言われ久しいですが、熟練の技を後世に伝えるためにも、若年層の入職を促し定着させることが私の責務であり、これからも長く地域の皆様に愛される会社になれる事だと考えています。
改めまして、今後ともよろしくお願いいたします。
令和3年4月1日
東洋工業株式会社
代表取締役社長
Masakazu Oso